物凄いクルージングであると感じました

地域社会と付きあう経験は、その後の米国工場建設時代に役立つことになった。 良品が出た時、ライン全体を停止させると大きなムダが生じる。
そこでT社では現場の班長の裁量権を大きくし、現場の権限でラインを止めるようにしてムダをなくした。 ラインを止めた後は、トラブルの原因をたどって行き、「なぜだ、なぜだ」を何回も繰り返して真の原因を探り、再発防止のためのカイゼン策を考える。
このT社生産方式はカンバン方式と言われ、第2次世界大戦後、生産が再開された直後から試行錯誤を続けながら開発されたが、その原型をつくったのがOT(元T社自工副社長)だった。 張は、入社6年目に生産工程を改善する生産管理部に異動となり、そこでOTとその右腕のSZに出会い、徹底的にOT式生産管理方式を学んだ。
張にとって、生産管理部で過ごした15年間は入社以来最も印象の残る時代だった。 張は、N新聞夕刊掲載「人間発見」のなかで次のようにしている。
「OTさんは剣道で言うと十段の達人で、大師匠であり、SZさんは小師匠。 徹底的にしごかれ、また、育てていただいた。

現場主義で強烈な意志を持つ教育者という点では共通していたが、タイプは違っていた」「SZさんは、教えている最中に、バカャローと怒鳴ったり、蹴飛ばしたりして、なんでわからないんだ、なぜこうやらないんだ、と答えめいたものを言う。 ものすごい勢いで怒るから理由を聞くと、そのやり方は、おれが十年前にいやっていうほど失敗したんだ、と言う。
そんなこと知らねえ、とむくれましたよ」「OTさんには、SZは教育ママみたいに早く解答を出すからいかん、と年中しかられていました。 OTさんは怖い顔して、例えばこうやる、と説明するから、こっちもそうかとまねをすると、なぜわしの言う通りにやった、と雷が落ちる。
わしの言う通りやるやつはバカで、もっとうまくやるやつが利口、と言う。 これはつらかったね」「ある課長が、できない、と言った時、OTさんは烈火のごとく怒った。
その理由が、お前には多くの部下がいる。 人間は真剣になれば、どれくらい知恵が出るかわからん。
なのに部下たちの知恵を全く無視して、できませんとは何事だ、というものだった。 OTさんは、一人ひとり対等に見ていた。
人間の知恵は限りない。 だから追い詰めて、本当に困らせて、いい知恵を出させる。
張は、1984年には物流管理室副室長兼生産管理部主査となり、OTの最後の直弟子としてOT方式の普及の旗頭となった。

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